パニック障害克服に役立つ本

パニック障害克服に役立つ本 ポケットの中のダイヤモンド

こんにちは!

 

あきらです。

 

私はパニック障害になった時、
ネットで改善策をいろいろ探しました。

 

そしてスピリチュアルの本が効果があると見つけ、いろいろな本を読みました。

 

その過程で素晴らしい本に出会いました。

 

それはガシガシの「ポケットの中のダイヤモンド」という本です。

 

著者はガンガシという女性で、悟りを開き、今は世界中でその経験を伝えている方です。

 

ガンガシは何をしても、何を得ても、満ち足りない思いをずっと抱えていました。

 

それは自分に原因があると考え、自分を矯正しました。

 

心理療法、瞑想、チャネリング、占星術、向精神薬、あらゆる欲望の実践、あるいは抑制など。

 

しかしガンガシは何をしても「満たされなかった」のです。

ガンガシの出会い

そこでガンガシは師を仰ぐことになります。

 

そこに現れたのが、インドの覚者パパジでした。

 

悩めるガンガシにパパジは、「自由になりたい事」、「真理があるのか」と聞きます。

 

それに対するパパジの答えはただひと言で「何もしないでいなさい」というものでした。

 

それは、行動の事を指しているのでは、ありませんでした。

 

自分をコントールするのをやめるようにガンガシに伝えたのです。

 

それを聞いてガンガシは悟りを開きました。

パニック障害克服と悟りを開くメカニズムは一緒

ここで、パニック障害克服と悟りを開くメカニズムは同じだと、と改めて私はこの本を読んで思ったのです。

 

全編大事ですが、パニック障害の克服に役立つと、私が思った項目があったので、そこを自分なりに深ぼりします。

 

それはコントール願望を手放すという項目です。

 

 

悟りを得るためには、精神的な成熟が必要だが、それはどういったものなのか?という問に対して

 

ガンガシの答えは

何年間精神修行をしたとか、何年間祈ったとか、何年間悪い事をしなかったとか、そういうこととは関係ないのです。

 

最も基本的なところで、精神的成熟とは
自分は人生をコントールできない、ということに気づいているかどうかにかかっています。
とあります。

 

私がパニック障害になったのは、15歳の時の試験の最中でした。

 

今から思うと自我がとても強い性格でした。全てを完全にコントールできると思っていたのです。

 

特に感じていたのは、人の目を非常に気にする性格だという事です。

 

人から見くだされないよう、勉強は頑張っていましたし、友達関係も常に自分が有利になるように、考えていました。

 

そして進路が決まる大事なテストの時です。

 

人間として当然なのですが、凄い緊張が襲ってきます。

 

私は緊張などしてはいけないと、緊張をコントールしようしていたのです。

 

緊張を自分ではコントールなどできないのに、それをしようとしパニック状態になりました。

 

衝動的に逃げ出したいと思い、気分が悪いと保健室に逃げ込みました。

 

そして保健室で受けたテストは、さんざんな出来で、布団を被って大泣きしたのを、覚えています。

 

それ以来、私はパニック障害をコントールしなければ生きていけないと思い、無謀な戦いを続けていきます。

 

ガンガシは言います。

コントールしたいという願望は、自分はいつ、どんな結果が出るかがわかっているという誇大妄想的な思い込みの上に成り立っています。

そしてコントールを手放すのにお手本は要りません。手放すのは行為ではないのです

コントールを手放すというのは、もっと深い意味でリラックスすることです。

海に浮かぶときのようなものです。

身体を緊張させることも何かにしがみつくことも、不要であることに気付き、それから、リラックスして、支えられるのに任せるです。

手放すと恐れを含め、さまざまな感情が沸き起こるかもしれません。

なぜなら、手を離す、という事はつまり落ちる可能性もあるし、何かを失う可能性もあるからです。

何かを失う心の準備をしましょう。

それは死と向きあうことと同じです。

とあります。

私はこのことを、瞑想を通してこの事を体感しました。

 

瞑想を始めた時は、「何もしない」事に耐えられないんですよね。

 

私は30分瞑想するのですが、「もう30分たったのかな」と何回も時計見たりしてしまうんですよね。

人間が生まれながらにしてもっている恐怖

そしてなぜ、何もしない事に耐えられないのかなと思ったのですが、

 

それは人類の抱える3つの恐怖を考えるので、何もしない事に耐えれないと思ったのです。

 

3つの恐怖とは

①人はなぜ生まれてきたのか?

②人の人生に意味はあるのか?

③人は死んだらどうなるのか?

その恐れを感じなくするために、人は忙しくしているのです。

 

何に忙しいのでしょか?

 

仕事、結婚、趣味、願望、人生観、価値観、善悪の判断、人生、人間関係、宗教観、上下観、国家情勢、生き残りなど、多岐にわたります。

 

もう私たちはクタクタです。

 

ガンガシはそれについてこう言ってます。

 

それは「逃避のダンス」であると。

 

ガンガシは意識的に死と向かいあう、ということは、コントールの不可能なことや、どんな人のコントールする力も及ばない、もっと大きなものを発見するということです。

 

その事実に身を委ねるのは至福の喜びです。

 

と言っています。

 

つまり簡単に説明すると、死に向きあう事によって、すべてを手放すことが出来たら、悟りは得られると言う事です。

 

また私は以前パニック障害の克服と悟りを得るメカニズムは、同じだと書きましたが、ひとつ気づいた事がありました。

 

パニック障害って死んでしまうんじゃないか、という恐怖が来ますよね。

 

強制的に死に直面させられています。

 

ですからそこで「手放す」「何もしない」とすれば、パニック障害は克服できるのです。

 

またガンガシはこう言います。

自分のなかで、コントール願望を追求していくなかで、私は何をコントールしようとしているのだろう?と自分自身に尋ねてごらんなさい。閉ざされた理性の扉の後ろに隠されていたものを、もっと完全に表に晒すことになるかもしれません。

正直に追求すれば、扉は開き、抵抗を受け入れる大事な機会を与えてくれるでしょう。

とあります。

 

私が思ったのはパニック障害の恐怖の奥底にあるのは、「死の恐怖」です。

 

私もそうでしたが、それを紛らわせそうとして生きてきました。

 

しかし、すべて投げ捨てて死に向き会うと、パニック障害はあなたを解放してくれるのです。